連載 ムツゴロウの「食べて幸せ」

 

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第九回 命のエキス、究極のトリュフ料理

 大都会、サンパウロのほぼ真ん中に「ファザーノ」はある。パリだったら
シャンゼリゼに当たるパウリスタ大通りに並行し、高級ブティックが並ぶ通
りがあり、その西の端に構える石造りの瀟酒な建物が、それである。
 内部はダークブラウンに統一されていて、やわらかい照明がしっとりテー
ブルを包んでいる。天井は八メートルほどあり、奥にある中二階の席はVI
Pのものだ。護衛がついてくるような客は、そこへ案内される。
 贅沢だとは、何度も思った。しかし一方で、現地通貨を日本円に換算し、
東京のレストランより安いのだからと言い訳にした。為替レートの関係で、
百円のものだとしたら、三十円くらいの感じになっていた。
 天井が高いのと、テーブル間の距離が大きいのとで、隣の席の話し声が聞
こえなかった。まるで森の中の日だまりみたいだった。
 私は通い始めた。贅沢だ、と胸の内で呟きつつも、足が自然に向いてしま
うのである。とことん通いつめるのが性分だから、これは仕方がない。
 フロアマネージャーのアラウージョと親しくなった。やがて、左奥の特別
なテーブルを私用にキープしてくれるようにもなった。
 十年経ち、二十年経った。私のポルトガル語が上達し、彼と話しこめるよ
うになった。
 そしてトリュフのシーズン。
 アラウージョは、まずパスタでどうです、と言った。一も二もない、私は
首を縦に振る。
 手打ちのタリアテッレ。彼のこぶしの二倍ほどある白トリュフ。それを特
製の削り器で上にかけていく。一片がクレジットカードほどの大きさの薄い
トリュフで、パスタが覆われてしまう。
 かおりが立ち昇ってきて、めまいがするほどだった。するとアラウージョ
は、混ぜて下さいと催促した。
 フォークで丹念に混ぜこむと、パスタに、かすかにオレンジがかった白ト
リュフの色がついた。と、彼は、その上に、トリュフを削り落としてまんべ
んなく覆ってしまった。
「さ、召し上がれ。ボナペティティ」
削ったアラウージョの顔が、赤く上気し、美味しいものを提供する歓びに
酔いしれていた。目さえうるんでいる。
 私は端っこにフォークを突き立て、くるくる巻き、口へと運ぶ。
 かおりが、頭にあふれる。口腔の形、鼻菅の形、食道の先端部―それら
が、かおりで裏打ちされ、映像化される。
 チーズに包まれた味が舌にしみこむ。そしてトリュフの味がパッと咲く。
 これは、味があるものなんだと感動する。しかも真正面から押し寄せる。
 大巨人になって、日本列島をまたぎ、緑したたる山を一つもぎとり、ぎゅ
っとしぼる。そのエキスの一滴。私はトリュフで満腹してしまう。
 次の日はリゾット。こちらも満点だった。
 これは年中行事になった。
 そして極上の白トリュフが入ると、アラウージョは日本まで電話してく
れるようになった。
 しかもだ、彼は名シェフに弟子入りし、自分でリゾットをつくるようにな
った。そして去年の十一月、私にこしらえてくれた。
 彼は言う。
「地球の反対側からうちの料理を食べにきてくれる―そんな人、ハタし
かいないよ」
「ここに座っていると、私は幸せなんだ」
「幸せって不思議なものだね。風がふっと吹いた感じ。すぐ消える」
「美味しいものを食べて、食べる時間なんて、人生の長さに比べれば、はか
ないけれど」
「そう。あっという間」
「だけど、その思い出は、高い山に降る雪みたいに、万年雪になって、い
つまでも心に残っていく」
「それはね、セニョール・ハタが生きていることを愉しんでいるからだ
よ。こういう商売をしているとね、愉しんでいる人なのか、そうでない人な
のか、すぐ分かるんだよ。セニョールが初めてきたとき、あ、この人と、ピ
ンときたんだ。いろんなことを、自分の手で成し遂げたのだろうとね」
「いい人生だったよ」
「そうだろうとも。いいレストランというのは、そういう人たちが翼を休
め、フォークやスプーンを動かす度に、そういう思い出を一つずつたどれる
場所なんだと思うんだよ」
私は、彼に買いかぶられているようだ。しかし、彼との時間は大好きだ
し、彼が出してくれるものを究極のトリュフ料理だと思っている。もう、こ
れ以上は求めない。
 食事を終え、暗いサンパウロの街に出る。上半分だけをライトアップされ
た古い教会が夜空にぼうっと浮かんでいる。
 生きていてよかった、そう思う。
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ムツゴロウの「食べて幸せ」は月刊「健康医学」(健康医学社発行)に連載しています。

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