連載 ムツゴロウの「食べて幸せ」

 

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第十回 無人島でサケがあふれた 前篇

 サケほど、世界中の人々に広く愛されている魚はほかにないと思う。どこ
からか輸入されたものだが、アフリカのレストランにサケがあったのには驚
かされた。また、台湾の友人に、今度くる時、日本からの土産として何を持
ってきたらいいと訊いたら、正露丸と塩ザケという答えが返ってきて驚い
た。
 私は、中学・高校時代を九州の山の中で過ごした。当時は流通の事情も悪
く、生のサケなど望むべくもなかった。それでも祖父は、焼くと塩が粉をふ
ったようにしみだしてくるサケが大好きで、切り身を茶碗に入れ、それに茶
を注ぎ、箸で突き崩し、おこげを加えて実にうまそうに食べた。これぞ天下
の恵みというように、目を細め、少しずつすすりこむ姿が今でも目に浮か
ぶ。
 生のサケに大量に触れるようになったのは、それから二十年ほど経って、
北海道の無人島に住むようになってからだ。
 島の裏手には、サケの定置網が張られていて、その頃、私はヒグマを飼っ
ていた。サケの漁師たちは、ヒグマ見物にやってきて、さあこれ食ってけれ
と、獲れたてのサケをほうり込んでいった。その際、きつく念を押されたの
は、
「あんなあ、このシャケさ新しいだども、刺身で食うでねえど」
ということだった。理由はよく分からないが、死人が出た年があるので、
漁師は絶対に生では食べないと言った。
 三十年ほど前、あの知床の先端まで行き、サケ漁をする番屋に滞在した
が、やはりサケの刺身は食べていなかった。彼らは、定置で獲れたサケを開
き、内臓と精巣を捨ててしまっていた。精巣はつまり白子である。私は捨て
られた白子を拾い、焼いて、レモンをかけてたらふく食べた。これは珍味!
 サケの刺身が解禁されたのは、外国で日本食がブームになってからだ。ニ
ューヨークやサンパウロの寿司屋で、外国人が最も好むのはサーモンだっ
た。しかも、ネタとして何年使用しても事故は起こらなかった。それで私
も、生で食べられるのだという確信を得た次第である。
 高級魚のヒラマサだって、まれにある年、刺身では食べないほうがいいこ
とがある。サケにもきっと、はるかな昔、悪い年があったのだろう。
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ムツゴロウの「食べて幸せ」は月刊「健康医学」(健康医学社発行)に連載しています。

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